姑獲鳥の夏

姑獲鳥の夏 (講談社ノベルス)
どうやら京極夏彦の作品とはウマが合うらしい。
おそらく。おそらく、というのはやや中だるみすることもあるからなのと
嗤う伊右衛門』を読んでから「泣きます! 何度でも読んで、泣いてすっきり!」とかゆー感想を見て
「……そこまでじゃないなぁ」と思ったから。
だけど
基本的には分厚さも気にならないくらい一気に読んでしまう。
であれば、すなおに「おもしろい」って言うべきなのだろうな。うん。
不完全燃焼で終わらせず、作家の自己満足のみ(あの「わかるやつだけわかればいい、的な←すげーキライ)でもなく最後も落ち着かせるので、ほかの作品にも手を出すんだと思う。

そんなこんなで『姑獲鳥の夏』もここ3日間で読んだ。私にしては速いほう。
相方は前半の、京極堂と関口のやり取りだけで参ってしまったらしいけど
わたしはそういうところはぜんぜん気にならなかった。
むしろ、自分には絶対にできない会話&聞くこともできないだろう会話を
楽しんで読んでいた感じ。
読後にここの会話をぱらぱら読み直して「はぁ〜なるほどねぇ」と感心したり。
おもしろかったっす。

そーいえば、これ映画になるんだっけ?
小説で想像したものはあくまで自分の頭のなかで描いたものだから、
映画になってしまうと他人の想像を、映像化して見せつけられるわけじゃない?
だからたいてい「えー ちがう〜」って反応にしかならない。
当たり前なんだけど、やっぱ違和感になっちゃう。小説を読んで「おもしろい」と感じていたらなおさらね。
「自分の想像と、どこまで同じか」という目で見るからそうなってしまい
不満しか残らない結果になるんだけどさ。
私は不器用なので、わかっててもそんな見方をしてしまいそう。
なので、多分見ないでしょう。